わたしはくまです。

ギリホリで渡航し、ロックダウン中のニュージーランドにいる私が、これまでの経験(数多くの失敗談!?)や身近な話題を誰かと共有すべく綴っていくブログです。ブログ名は約7か月お世話になっているホストファミリーの子どもたちがなぜかお気に入りの日本語です:)

私たちの生活とコロナ

こんばんは、yunです。

今日久しぶりに一緒の地元からワーキングホリデーでニュージーランドに行った子から連絡が来ました。今日のブログはそこから考えたことを自由に綴っていくだけのものです、タメになる情報はなし!( ´∀` )

その子は私より先に帰国しており、来月にはオーストラリアへワーキングホリデーに行く予定だった。でもこの事態で諦め、現在はバイト生活をしているとのこと。

まだワーホリの年齢制限までには時間があるから、早くこの事態が落ち着けばいいなーと彼女のためにも願ってみる。

 

またヨーロッパにいる別の友達はロックダウンもあり、仕事探しも満足に動けないまま、VISAが切れそうになっていて、次の場所を探さないとって言っている。コロナのせいで海外でもやはり仕事を探すのは大変みたい。彼女の明るい未来を祈ってみる。

 

たまに周りが見えなくなると、自分がすごく不幸に思えてくるときもあるけど、全部が悪い方向に向かっているわけでもなくて。周りと比較して感じる幸せなんて、自分の気持ちの一時的な安定剤でしかないから、自分の気持ちをもっと大切にしていけたらなって。いつも昨日よりよい私でいたいなと考えてみる。

 

今日見たテレビで「一人だと無。けんかもできない。」っていう言葉があって、賛成!

ホテルで自粛していたとき、もしこのまま一人で生きて死んでいくとしたら、だれにも迷惑かけずにひっそりと慎ましやかに…なーんて考えたこともあったけど、やっぱり私は気の置けない誰かが自分の人生に居てくれないとつまらないな。一人の部屋にも慣れてきてたし、今はネットもあるから時間つぶすことなんていくらでも出来るんだけど、たまにすごく生きてる張り合いがないというか、食べて・寝て・時間の隙間を埋めているだけに感じることもあって。死を待つってこんな感じなのかなーなんて。

コロナで生じた不自由さが、私に、自分の人生観と向き合う機会になったとか、当たり前になっていた大切なものに気づかせてくれたとか。大変な状況でも得たものはあったからそれを無駄にしたくないな。

失ってからその大切さに気付いた、なんてよくドラマのセリフとかであるけど、失う前に気づけた私はラッキーだ。だって後は大切にしていくのみだから。

とまあ、ほんと自由にブログを書いちゃったΣ(・ω・ノ)ノ!次回はもっとちゃんとします。

ではまた