わたしはくまです。

ギリホリで渡航し、ロックダウン中のニュージーランドにいる私が、これまでの経験(数多くの失敗談!?)や身近な話題を誰かと共有すべく綴っていくブログです。ブログ名は約7か月お世話になっているホストファミリーの子どもたちがなぜかお気に入りの日本語です:)

昨日思ったこと

こんにちは、yunです。

今日は雨で、気分も落ちこみ傾向ですが、大好きな歌を聴いたり、夜はのんびりお風呂に浸かったりして気分転換しようかなーなんて思っています。

 

実は昨日同級生のお母さんに会ったんですよね。そのとき感じたことを今日は徒然なるままに書いてみようかと。

かっこよく言えばごまかせると思って( ´∀` )要するに時間あるので書いてみたというだけですけど・・・(笑)

 

同級生のお母さんの話。

その同級生が切迫早産でコロナ流行の前から入院してて、無事出産したそうで、実家で少しの間子育てしてたと。でも、旦那さんの仕事の都合やコロナを心配してもう帰っちゃったそうで。

もしこんな事態がなければもっとゆっくり実家で過ごせたんだろうし、おばあちゃんも孫と一緒に居られたんだろうなーなんて。当たり前がそうじゃない今は嘆かわしいことだらけですね。

帰省できない子どものことを考えているお父さん、お母さんとか、親の健康を遠くから祈る子どもとか、それが友人や恋人であったり。近くに居れない、いけないことって自分で選択したならしょうがないけど、何かの力でそうせざるを得ないとすれば、ネガティブな感情も出てきますよね。相手のことを考えていればなおさら。たとえ離れてることのほうが今はお互いにとっていいと頭では分かっていても。

でも、そのお母さんが言ってたんです。「寂しいよー!!家は日帰りできるくらい近いのに、こうだからね。お互いの健康を考えれば今は行き来しないほうがいい。今はテレビ電話もあるから毎日のように顔も見れるし、成長も見られる。来年には来てくれるんじゃないかな。」って。

 

私もそう思うように努力しようって思いました。どうしても寂しいとかって言ったらこんなときだし悪いかなって思ったり。みんなが我慢しないといけないからなるべくは言わないようにとか思ってるけど、そうでもないかー。

だって寂しいときは寂しいし、うれしいときはうれしい、隣にいてほしいときは隣にいてほしいじゃないですか。こんなときだから弱音たーっくさん吐いて、また頑張っていけばいいですよね。

 

例えば友達でも引っ越しとかで会えなくなった人が居て、会えないからそれまで仲良かったのに疎遠になるってあるじゃないですか。その一方でずっと会ってないのになぜかずっとつながりを感じる友達もいますよね。こんなときだからこそ、自分のもつ人とのつながりとか、自分の大切な人達の存在に気づくことができるように思います。ニュージーランドから帰国できるの?って連絡をくれる友達がいます。自分のことを思ってくれる人の存在ってありがたいですよね。

 

大事な人と会えないみなさん、

今は会えないけど、次会った時にはいーっぱい写真撮ったり、思い出作って、

素敵な時間を過ごしましょ♪

きっといつかではなく、そんな日が早く来るよう、私も祈っています。

ではでは