おばあちゃんと恋バナ
こんばんは、yunです。
今回は前回の続き、後編です。
なんで「おばあちゃんと恋バナ」??まずはそうなった経過からお話させてください。
私は高校卒業後から6年間、実家を離れて生活していました。その間に祖父がお星さまになりました。
パートナーを失ってから数年、おばあちゃんはどこか元気がなかったり、これまで専業主婦として毎日していた料理もやる気がでないのか惣菜が多くなったりなど、様子がおかしいと親から聞いていました。
6年ぶりに実家に戻ることにした私が思いついたのが、おじいちゃんとの思い出を聞くことでした。グリーフケアという考えの中で、故人との思い出を語ることもいいと聞いたことがあって、そんな感じのことができないかなーと考えたのがきっかけ。
ある日の午後、意を決しておばあちゃんにおじいちゃんとの馴れ初めを質問してみました。それが恋バナのスタートでした。
以来、たまにおじいちゃんとの思い出を自分から話してくれるようになりました。
二人は昭和の古き良き時代に出逢い、3年の交際期間を経て結婚したそうです。当時は親の決めた人との結婚やお見合いなどが主流の中、二人はなんと恋愛結婚Σ(・ω・ノ)ノ!
・・・私の知っている二人は、お酒とタバコについておばあちゃんに怒られ、言い返しているおじいちゃんという常に喧嘩しているイメージだったので、そんな時代もあったのかとびっくり(笑)でも今考えるとおじいちゃんが感情的なるのはおばあちゃんに対してだけだったなぁ(*´ω`*)
うちの祖父は家庭事情が少し複雑で両親とは同居せず、親の実家で育ちました。祖母の両親は当初、親のいない人との結婚はだめだと反対したそうですが、育ての親の協力より、理解を得てめでたく結ばれました。
出逢いは、今でいうところの職場が近かったということだそうで、お互いが奉公先で近所で、祖父がよく祖母が川で野菜などを洗っているところに馬で通りかかり、声をかけていくようになって親しくなったそう。馬で来ていたなんてまるでどこかの王子様じゃないか、ねぇ(*´▽`*)
うちの祖父はというと、普段は口数が少ないのに、スカートはひざ丈くらいがいい、パーマは毛先だけにして方くらいの長さがいいなど祖母の髪型やおしゃれに口を出す人だったとそうです。祖父自身は白いズボンや柄のあるシャツを着るなど周囲に比べるとハイカラだったようで。今日はおしゃれして来いとか、今日はこういう服のほうがいいとか祖母のファッションにもこだわりがあったらしい。
よく近くの公園や神社のあたりの散歩をするのが定番のデートコースだったとのこと。きっとぶっきらぼうな祖父に代わり、祖母がしゃべりまくっていたんじゃなかろうか、と想像力を膨らませるのは、二人の青春時代を知らない孫の私( ´∀` )
それから貧乏をして、祖父は町の人に信頼される職人(?)になって、子育てが終わったら孫が生まれて、祖母は専業主婦として家のこと全部やって、二人は40年以上も連れ添っているのだから一つの物語のようだ。こう考えると、人生の大半を一人のパートナーと一緒に時間を共有できているのだから素敵なお話である。
おじいちゃんがお星さまになって15年。今日もおばあちゃんは枕元から見えるおじいちゃんの写真に「おはよう」と挨拶をしている。
では。